2.忍び寄る影


凪いだ海原の20㎞先では、船長エスピラルが率いる海髭旅団が巨大な船を浮かべていた。
船室の丸い小さな窓から外を眺めていたカイゼルは、新たな街に想像を膨らませていた。目的地は近いけれども、到着は明日と聞かされていたので、それまで他にやることもなかった。

「なんでこんなとこにいるんだよ、俺は…」

未だ慣れない不規則な揺れに、ため息がこぼれる。答えは簡単だ。この旅団が目指している大陸には、多くの冒険者や旅人たちが塔を求めて集い、暮らしている。人が集まり栄える街には新しいもの、貴重なもの、見たこともないようなものも集まる。カイゼルは探していた。病弱な妹を治せる薬を。
カイゼルと妹は孤児だった。生まれてすぐに捨てられ、拾い育ててくれたのはたまたま村を通りがかっただけの女冒険者だった。

「カイゼルー!おい、カイゼルー!まだ寝てやがんのか!!」

耳障りな音と自分を呼ぶ声が繰り返される。この船で船長が招集をかけるときには、甲板の柱に吊り下げられた鉄板を叩く決まりだ。カイゼルは姿なき声の主に向かって物憂げに返事をした。

「今行きますんでー…」

またも船が揺れて、足がもつれる。
本当、最高な船旅だな。
思わず悪態をつく。
しかし、妹を思い出すと、どうしようもなく胸が苦しくなるのだった。




部屋を出て、右と左の壁に押しつぶされないか不安になるほど狭い船内を早足で歩く。筋肉隆々のむさ苦しい船員たちがどうやって素早く移動しているのか、計り知れないし、想像したくもない。
自分を呼ぶ声は聞こえないが、鉄板を叩く音は容赦なく続いていた。
カイゼルは、紅い鷹が翼を広げたエンブレムがついたドアの前で足を止めた。
ドアノブが、固い。壊れてるようだ。

「船長ー!そっちから開けてください!そこにいるんでしょ?」

鉄板を叩く音がやむ。30秒のあいだ、回らないドアノブを前に待った。誰かが反対側からガチャガチャと試行錯誤している。しばらくしてドアが開くと、船長は顔を真っ赤にしていた。

「誰だ、このポンコツを修理してないのは!ったく、整備士を呼べ!!1人いただろう!」

「その整備士なら、出航前に船長が首に…」

「なんだと?!他に直せるやつはいないのか!役立たずどもが!」

船員たちが顔を見合わせる。
どうやらいないようだ。

「この野郎!!」

いい加減にしてくれ…。
ドアを開けっ放しにでもしておけば困らないだろうが。
鼻息荒く酒瓶を振り回す船長と、完全にビビって腰が引けている巨漢たち。そこに近づくと、船長は細身な体に背負われた大剣に目を走らせ、ようやくカイゼルだと気付いたのか、こっちへこいと腕を振った。

船長もなぁ…。
女らしくすれば、美人だってのに。
世界を旅する大手ギルドのひとつ、海賊旅団を率いているだけはあるのか、恐ろしく頭がキレる。船上で銃を持たせると横に並ぶものはおらず、海上戦では負け知らずだとか。そんな噂の大手が村付近の港に停泊していたので、頭を下げて乗り込んだはいいものの、手のつけようがないこの理不尽さである。

「カイゼル。見ろ。街はもう見えている。」

渡された細い双眼鏡を覗き込む。

「見えますね。」

「よく見ろ。お前はアレを見たことがあるか?私はない。」

言われて目を凝らす。
石造りの城壁で囲まれた海沿いの街。
敵船はなく、荷下しの小さな貨物船がいくつか停泊しているのが見える。
特に異常はなさそうだが…。

「馬鹿かお前は。わかるまで見張ってろ。わかっても見張ってろ。朝までだ。」

「了解です、船長…。」

逆らうと命が危ないので、従うほかない。仕方がないので、再度ガラスの先に広がる景色から、間違いを探そうと試みる。

何もなく、平和そうだ…。
いや…待てよ。
人が誰もいない??

港町らしからぬ人気のなさ。
遠すぎて見落としもあるかもしれないが、人っ子ひとり街を歩いていない。
貨物船から荷を下ろす人影もない。
これはおかしい。

船長が着港を遅らせているのは、様子を伺って、ということらしい。何かが起きているんだろうか。それとも、これから何かが起こるんだろうか。

ーーどんなときも冷静に。自己犠牲と取捨選択は別ですから。ーー

なぜ、今あの人を思い出すのだろう。

その時、街で赤い光の柱が燃え上がった。